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瞑想とは、まず 心を 鎮め自分の中を感じていくこと。
そこに生まれた空間からみてみると、起こる物事すべてに感謝が湧いてくる。
そんな日常そ のものが、自然なる「祈り」である、と。
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■幼少期に観た「祈り」と 生まれた問い
私は神奈川県湯河原で旅館の長女として生まれ、家を継ぐことが前提で育てられてきました。お墓のあるお寺は曹洞宗。仏教信仰が特に熱い家というわけではなかったですが、子どもの時から墓参りに行くことが自然だったり、毎朝祖母が仏壇に般若心経を祈る姿を見ていて、なんとなく祈りとはそういうものだと子ども心に感じていました。
そして小学生ぐらいの時に母から、あんたは心臓が悪くて2歳の時に生死をさまよう病をした、その時に隣の人までかけつけて祈り続けてくれたお陰で助かったんだ、と聞かされ「死とは何だろうか?祈りとは何だろうか?」という問いをその頃から持ち始めていました。そしてちょっと空想家な部分があり、本当は私はただの石ころで、目の前で人間が動き感情を表現しているのを見て、深澤里奈子という人物の人生を妄想しているだけなんだ、なんて思っていることもありました。
■人の心とは、"生きる"とは
その後2000年、26歳にて3代目の女将を継ぎ、 経営という直面に立たされた 時、一番苦労したことは「人 の心」です。もともと引っ込 み思案な性格だった私は、人 の心に惑わされて 自分の心が 定まらず、悩み右往左往する ばかり。自分の心を律する方 法を学び実践したり、人材育 成のために心理学や脳科学を 学ぶうちに興味を持ち始め、 「人って何だろう?心って何 だろう?」とまた問いを深め、 その奥に感じる「魂って?」 と『死生観』を考え始めまし た。曹洞宗 天竜寺で禅の勉強 をさせてもらったりブータン にて仏教を学ぶ旅をしたり、 自分なりの死生観を勝手に構 築しています(笑)。特に輪廻 転生の考え方は、今生きてい るこの瞬間が救われる感覚が あり、とても好きです。 人の評価や中傷や噂などに すぐに傷つき悩む自分が嫌で、 自己分析。これってミクロの 世界で細胞がきゅっと死を感 じて心が痛むってこと?・・・と したら、マクロな感度に戻す と、死への恐れが無くなったら、心が痛まなくなるのかな と拡大解釈。
そこで私の突飛な空想がま た始まります。「ありがたくこの 平和な日本に生まれて、そう 簡単に死ぬことはなく、かつ もし死んでも輪廻転生、魂の 次のステージへの旅立ちだ! だとしたら、死を恐れずに、 自分の魂がそうしたい!と望 むことを行動したらいい。そ う、いつ死んでも悔いがない ように!」と。左手は腰に手 をあて右手で空をさすポーズ でもするかのような明るい感 覚で死というものを捉え始め た瞬間でした(笑)。
それから自分が望むこと= 魂レベルが望むこと=天命や 使命を自然に行動できる人は 真っ直ぐに本来の力を‘生き ることに注げるのではないか と、使命の探求もしていくよ うになりました。
■人が本来の自分に還り本質から行動していく場、ご縁の杜が誕生
そして、その想いが強くな った2016年。観光旅館の 立ち位置を改め、「リトリー トの場=人が本来の自分に還 り 本質から行動していく場」に宿のコンセプトを一転。人 生に変化が起こる宿「ご縁の 杜」として、意識の変容と気 づきの場を再構築。
食は大地 から採れる野菜や穀物を中心 とし(卵 乳製品 肉魚 不使用) 喜びで創り、喜びで食べる料 理へ。館内は千冊を超える本 が並び、気づきの発信を。毎 朝、お客様と日の出ツアーに 行き、瞑想の講座を開催。瞑 想は初めてです!という方も 多く、これから気づいていき たいと感じている人たちの意 識変化のキッカケの場として 活用していただけたらありが たいです。
■日常そのものが自然なる「祈り」でありますように
頭がフル活動の現代人には、 心を鎮め、自分の中を感じる 時間として瞑想という一つの ツールが大切な時代になって きました。
でもいつも思うん です。昔は毎朝、仏壇や神棚 やお天道さん(太陽)に手を合 わせ香をたき チーンと鐘を 鳴らしお経を唱える。神社で 鈴を鳴らし柏手をうつ。生活 習慣の短い時間の中で、心を 鎮め自分の中を感じ、起こる物事すべてを感謝にしていま した。そんな風に日常を丁寧 に、すでに在る豊かさを感じ、 ありがたいね、美味しいね、 が口ぐせのように幸せ感度が 高く、かつ自分が生まれたお 役目を(使命)を自然に生きて いる人が増えていく。日常そ のものが自然なる「祈り」で あると。
そんな自然で素晴らしい日常に気づく人のツールとしての食の在り方や、瞑想的習慣を、ご縁の杜を訪れる皆様に感じて頂けたら嬉しいです。
〜旅とは〜
これからの旅は観光でなく 「巡礼」。 自らの生き方を知り感じ、行 動する旅。 その過程の中に存在する宿 と旅人は、尊敬し合い、学び 合い、応援しあう仲間。私た ち地球に存在する人間として 分かち合いを感じあう出逢い の場としての「杜」。
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